ロボットみたいに生きてる

それでも私は人間なのか

不用品を売りに行ってみます

あまり、売りたくないんだけど、いかんせん、お金がないので、何でも金目の物は、お金にします!と決めて、不用品を持ち、お店を回り、一軒目、全部で500円です!と、言われ、二度と来ませんと、心の中で思い、それでは、自分で使いますと、お店を立ち去ることに、やはり、店が奇麗すぎて、ボロ儲けしてるな〜と、感じ、その他、雑談、戦争に行った時にしか使えないお金も、現代で使えるお金に換金してくれるの?などと聞き、そんな昔から、生きていないわ!と心の中で、思いつつ、こういう時は、旧家や名家の人は、得ですよね?と会話をしつつ、でも、旧家や名家の人は、売らないでしょ?と思いつつ、多分、資産価値、高そうな物は、何でも鑑定団などのテレビなどに、応募するんじゃないかなと、思いつつ、腹が立つ店、人の足元をみる店を後にします
いつも、通って見てるけど、さすがに、客がいないだけあるわと、思いつつ、立ち去ります
最近は、地震などが多いから、金などは、お値段高く買い取ってるようだが、逆に地震などで、生活防衛で、売らずに、自分で身につけてる人もいると、思います
日本銀行券が心配で、金は売らない人もいるのではと、思います

他にも、不用品買い取りのお店はあったが、そちらは、別の系列店で、シルバーは買い取らないと、門前払いされたので、二度と行かないと、腹に決めており、シルバーも買い取るとは言いつつ、クロムハーツなどの高給ブランドじゃないと、買う気がないと言う事を、店員は言いたいのだと思いますが、こちらは、そんなゴツいアクセサリーは、男じゃないし、ありませんので、無視し、通りすぎます
今となっては、一応、値段ぐらい聞いてみるべきだったかな?と後悔しています
店によって、働いている人は、違いますと、言う事をその時点では気が付かないのが、私のおかしい所でも、あります
大体、何でも、後から、気付きます
すぐ、気付かない所が、私の至らない所だと、思います

次は、何回か、不用品を買い取って頂いている店、こちらは、クタクタのピアスや、ボロボロのブランド品なども、何とか値段をつけてくれます
これは、使いこんでいますねと、言われつつ、そこは、どうにか目をつぶって頂きなどと、会話をします
この店の人は、会話を重視するのか、名刺入れを売りに行った時も、この名刺は、沢山、入りませんねなどと、あまり、最初に高いお値段は、つけられませんよと、牽制のような一言を喰らうのですが、嫌味には全く聞こえない所が、商売上手な人なのだと思います
店には、スターウォーズのフィギュアや、ダイソンの掃除機など、色んな物を買い取っているようで置いてあります
前は、鍋も置いてあり、聞いてみると、お付き合いで、これも買ってきたと、言っておられたので、商売も大変だなと、思ったのを覚えています
でも、ル・クルーゼのような鍋は、売れるようで、一軒目の店には買い取りますと、書いてあったのを、思いだします
査定の結果、一軒目の10倍で売ることになります
買い取り屋さんは、ほんと様々で、何軒か回ると、よく分かります
数年前は、こういう商売は、みんなが、不用品を出しきったら、こういう商売は、なくなるでしょうと、買取屋さん自体が言っていたが、今だに沢山あるし、老舗の質屋さんなどは、昔からあり、今だに商売を続けてるから、以外と永遠にある商売なのかとも、思います

本当は、不用品を売るのも、惜しいが、運気が悪いので、古い物は手放し、新しい物と入れ替えすれば、また、運気の流れも、変わっていくのではないか?と言う思いもあります
古い物には、運気が流れないと、どこかで、読んだ記憶があります
本当かどうかは、知る由もありませんが、まれに、そういう事もあるのかな?と思っています
売るのは、もったいないが、仕方なしです
絶対に買った時の金額よりも、下がるからです
ロレックスの時計などは、資産価値としては、あまり価格変動がないようで、動産として所有する人には、人気があるようです
速く、不健康から脱却し、バリバリ仕事をしなければいけない状況にあります
しかし、脱不健康を掲げているが、今日も、見込みなしです
息苦しいです
不健康が長びいている為、色んな物を手放し、とても、寂しい人生になっているので、どうにかしたいです
高い指輪は買えないので、ゴムで指輪を作ってみたりしているが、小学生じゃないんだからと、笑ってしまうが、ないよりは、良いか?と言う事でそうしています
アクセサリーは、若い時より、年齢を経てきてからの方が、必要なのじゃないかと、おもいます
手のシワが目立つので、誤魔化す為、首のシワも、目立つので、ネックレスで、光らせて、誤魔化す為にあるのかなと、思います
自分が、輝けないので、アクセサリーで輝きを作るのかな?とも、思います
ま、何も身につけてないので、海外に行っても、狙われる事もなく、それだけが安心です
売ってしまっているので、地震がきて、ダメになってしまっても、悔やむ必要もないわけです
でも、売って寂しくなる事だけは間違えないです






趣味が欲しい

実は好きだったアイドルが結婚してしまってから、毎日すっかりやることがなくなってしまいました。
それまで毎日見ていたツイッターなどのSNSも、アイドル前提の繋がりだったため、色んな言説が飛びかってるのを見るのが辛くて、アカウントも消してしまいました。そしたら、本当に何もなくなってしまいました。
その直後は悲嘆に暮れていて、忘れることで精一杯という感じだったのですが、気持ちが一段落したら、今度は何もやることがないことに気付いて途方に暮れています。
好きだった音楽が聴けなくなったのも淋しいですし、コミュニティから出て独りになってしまったのも淋しいです。自分でそれを選んだのだから仕方ないと言えばそうなのですが。
他に趣味もないので、興味を持てるものを早く見つけたいと思っているのですが、これがなかなか…。自分が本当に何もない人間で恥かしいなと思います。
今はなんとなくネットサーフィンしたりして過ごしているのですが…。でももちろん、それで気が晴れるということもなく、かえってストレスになっているかもしれません。
というのも、見てると話の通じない人が本当に多いなと思うのです。ニュースのコメント欄とか、私自身はほとんど書き込みしたりしないのですが、今は落ち込んでいるせいもあって、他人のやりとりを見ているだけでもストレスに感じてしまうことが多いです。
ああいうのは、わざと対立を煽ったり喧嘩みたいにして閲覧を稼いでるとかも聞いたことがありますが、そういうので盛り上がるのってやっぱり男性なんですかね。私はむしろストレスに感じて、逆に離れてしまうんですが…。
それじゃなくても、だらだらネットとかを見ていると、姿勢も視力も悪くなる一方だし、良いことないよなーとは思うんです。だから新しいことを始めたいなと思っていて。どうせなら文化系の趣味よりも、身体を動かすほうが良いなと思っているんですよね。
自分自身、気持ちが落ち込んでいる時にでも、ちょっとした体操とかでも身体を動かすとすっきりすることがあったので。ホットヨガとか流行っているみたいだし興味を持っているのですが、たぶん本気でやろうと思ったら独学では難しいですよね。でもヨガの教室っていうのがちょっと心配で、尻込みしています。
スポーツジムなどでも、強引な勧誘をされたり、退会しようとしてもさせてくれないとかの話を聞くのもありますが、特にヨガは、昔あったオ●ム真理教みたいに宗教と繋がっていないかが心配なんです。ヨガの説明とかをしているサイトでも、ちょっと宗教色を感じるところがあるのでね…。
あと興味があるとすればダンス系ですね。あんまり運動神経が良くないし体力もないので、ジャズダンスとかヒップホップとかは自分には無理かなと思うのですが。フラダンスとか、ベリーダンスみたいな、スロー系のダンスならとりあえず動いてみることは出来そうだなと思って。
ただ、そもそも習い事の教室って色んな人が来ますよね。元々人見知りな人間なので、そういう付き合いが苦手なんです。アイドルのファン同士なら、好きなアイドルの話さえしていれば仲良くなれるのですが。そういう共通の話題がない集団に入っていくのって自分的にはハードル高いのです。
特に、馴れ馴れしい人、強引な人が苦手で。マルチ勧誘してくる人とか本当に嫌なんですよね。いざという時にきっぱり断わることは出来ますが、できれば初めからそういうところには近づきたくないです、ストレスなので。でもああいう人は、気弱そうな人を狙ってくるんだろうなと思います。
どこでも図太い人が幅を利かせていて、繊細で控えめな人が生きにくい世の中だなと思います。
動物(哺乳類)は好きで、ペットのいる生活も憧れるのですが、経済的な面から諦めています。責任を持って飼おうと思ったら、ペット可の物件を探したり、病気になったら病院に連れて行ったり、臭くなってきたら洗ったり。犬なら毎日、天気が悪くても散歩が必要だし、猫なら遊ぶ場所を作ってあげたり。
子どもの頃ですが、家で犬と猫を飼っていたことがあって、生き物を世話する大変さが分かっているので、逆に簡単に手が出せないんですよね。
犬猫の保護団体の里親募集のサイトなどを見ていても、独り暮らしだとそもそも譲渡できないとされているところもあるくらいです。それは当然だと思います。経済面や健康面の不安もありますし、その心配がないとしてもペットも二十年近く生きるのに、留守番ばかりじゃ可哀想ですからね。
それで結局、猫ブログなどを眺めているだけなのですが、やっぱりペットを飼われている方というのは幸せそうな方が多くて。羨ましくて、そこですら癒されるよりもダメージを受けてしまっている自分がいます…。
やっぱり、ネットばかり見ていては駄目なんですよね。自分で自分を幸せにするためには、自分が動き出さなければいけないのだと思います。
少しずつでも頑張りたいです。

 

プログラミング教育 義務化

40代女の友情

最近、40代の女の友情についてつらつらと考えてしまっています。
私自身は40代後半に突入しましたが、20代や30代のころとくらべてめっきり友達が減ってしまいました。
別に何をしたわけでもないのですが、気が付いたら今まであんなにたくさんいたはずの友達が、連絡がなくなっていたり、連絡先が変わっていたりで、いつの間にか誰もいなくなっていた、という感覚です。
これって、なんなのでしょうか。
何か、私に原因があるのでしょうか。それとも、そんな年齢ということなのでしょうか。
ネットで調べてみても、「40代友達」という言葉で検索しただけで、「友達が減った」という内容がたくさんヒットするところを見ても、どうやら私だけの現象ではなさそうです。
不思議です。自分には、そんなことは起こらないと思っていました。一体何が原因なのか?
思い当たることとしては、ライフステージの変化によるもの。
20代のころはお互いの環境も生活もほとんど違いがなく、同じ趣味や興味のある話題で盛り上がって、話が尽きることがなかった友達も、片方が結婚したり、また出産したりとどんどん生活環境が枝分かれしていくことでいつの間にか会っても盛り上がらなくなってしまった。
あちらは仕事のことで頭がいっぱい、こちらは育児の悩みや嫁姑問題・・・お互いの気持ちをなんとか想像して共感しようと試みても、どうしても現実感がわかず、同じ環境や境遇の似ているママ友同士でしゃべったほうがはるかに盛り上がったり。
それでも、なんとかやってきてたんです。
数少ない友達を大事にしようと思ってました。
友達は、数よりも質。そう思って、たとえ友達が少なくても、自分は幸せだ、と思っていたんです。

そんな心を最近乱して止まないのが、SNSの登場なのです。
たとえば、私よりもはるかに友達が多く、いつも輝いている某彼女。彼女は、私の友達でもあります。
SNSというものがこの世に登場する前からの友達で、会えばいろんな話をし、私はすっかり心を開いていました。
しかし、SNSの登場で、会っていないときの彼女の言動も読めるようになってしまいました。
そうして、ふと思ったのです。
彼女は、いわゆる「人たらし」なのではないかと。
悪い意味ではありません。男女問わず、なぜだかみな、彼女の人間性に惹かれていくのです。
何がそうさせるのか、はっきりした物言いが気持ちがいいのか、親身になって話を聞いてくれる姿勢が自分だけに向けられている関心ととられるのか。
気が付いたのです。元々私の知り合いだった人や、私が紹介した友達が、全員、どんどん彼女と深い友達になっていくことに。
SNSの存在がなければ、おそらく気が付かないままだったでしょう。
しかし、SNSの日記で、写真で、いつの間にか、私を介して紹介した友人が、私抜きで彼女と親しく会っている様子を何度も発見してしまうようになったのです。
もちろん友達は私の所有物ではありませんから、自由です。でも、なんで誘ってくれなかったんだろう?声をかけてくれたら行ったのに・・・と思うことが増え、だんだんとSNSを見ること自体が辛くなってきました。
なぜだか、以前は複数で会っていたメンバーも、いつの間にか彼女としか連絡をとらなくなっていく。
SNSがなければ知る由もないことですが、あ、ふたりは会っていたんだ、と嫌でも目に入ってしまう。
私にはコメントを入れず、存在に気付いてもフォロー申請さえもしてこない人が、彼女とはつながっている・・・。

わかっています。不健康な思考です。これでは、ひとりで僻んでいる状態で、こんなだとますます友達が減ってしまいます。
SNSが当たり前になった最近、何かが変わったなと思うのですが、なんというか、「キラキラ輝いている」ことが人として素敵である条件で、そういう人こそが友達ができる、という図式になっているように思います。それは昔から、ふさぎこんでいたり悩んでばかりいる人よりも元気でバイタリティーに溢れた人のほうが魅力的なのは同じかもしれませんが、そういうキラキラ生活アピールを、SNSという手段で簡単にしやすくなったのだと思います。会って、話しているうちに、ああ、こういう事を考えている人なのか、とじわじわとわかってくるというのではなく、「あんなもの食べた」「こんなとこ行った」「ほら、私友達いっぱい」というSNSを見て、その人の生活をそこではかり、「毎日活き活きしている素敵な人!」「友達の多い人気者」と認定されると、そこにわらわらとみな集まっていく・・・。
いわゆる、自分の理想像でレッテルを貼り付け、寄っていく。

連絡をくれなくなった人たちの中では、きっと自分の「旬」が過ぎたのでしょう。
勝手なイメージで寄ってきて、実際話してみるとなんだか違う、と離れていってしまったようにも思えます。
某彼女を交えて定期的に集まっていたメンバーも、いつの間にか彼女だけと会うようになってしまいました。

ライフステージの変化に加えて、SNSが登場したことで、私の友情面での人生設計が大きく違ってきたなとつくづく感じるこのごろです。
かといって、SNSでとりあえずキラキラアピールもできない性分であれば、流れに身をまかせて、50代、60代がどんな風になっていくのかじっくり体験してみよう、と思います。

初ママ奮闘中!

32歳にして人生で初めての大きな大きな経験、そう出産をしました。
周りの友達にちらほら結婚し、子供のいる家庭もありましたが、まだまだ独身を謳歌している友達もたくさんいるので、子育ての大変さをなかなか感じることはありませんでした。
結婚して1年たち、そろそろいいタイミング化と思っていた矢先の、妊娠という嬉しいニュースに夫婦2人でとっても嬉しくて喜びを分かち合いました。
薬局で検査薬を買うことにドキドキしたり、一人でいる時間に検査薬を使って妊娠が分かり、どうやって旦那さんに報告しようか考えたり、今思い返しても楽しい思い出です。
もともとスノーボードが共通の趣味で、旦那さんと行こうと計画していましたが、妊娠が分かったことでこのシーズンは行くことを断念…
子供のことを思えば当たり前なんだけど、毎年冬が来てスノーボードへ行くことを楽しみにしていたので、ちょっぴり残念な気分にもなってました。
産まれて大きくなったら子供と一緒に雪山に行くのかなとか、雪遊びが好きな子になるのかなとか、色んなこと考えてましたね。
正社員で仕事もしていましたから、産休に入るまでは身体に気を付けつつ、何とか乗り切ろうと意気込んでいたものの…
頑張ろうと思いすぎていたのか、妊娠4ヶ月に入ったあたりに大きく体調を崩しました。私の仕事は、常に立ちっぱなしであっちにこっちに動き回ります。重いものを持ち上げたりすることもありました。
妊娠が分かった後はなるべくお腹に悪いことは避けてきましたが、緊急を要するときにはどうしても無理をして動いていました。
そんなことをしていたら急にお腹が痛くなってしまい、休憩室で横になることに。
早めに帰らせてもらったものの、次の日に少し出血をしてしまったので、急いで産院へ駆け込みました。
幸い子供は無事でしたが、先生には大変きつく怒られました。
もう私だけの身体ではないこと、私は一人の命をお腹に宿していること、私が無理をすれば子供の命にかかわるということ。今まで感じているつもりでしたが、これを機に改めて私はお腹の中の子を守り、この世に出てくるまでもこの世に出てきてからも守り続けなければ!と感じました。
最初はお腹も大きくないし、つわりもないので仕事を普通にしていましたが、その件があってから職場には相談して軽めの仕事にさせてもらいました。
そんなことを乗り越えたら、あとはとっても順調に進んでいき、無事に産休へ入ることが出来ました。
家から職場までが遠かったこともあり、貧血していた時なんかは本当にしんどくて心が折れることもありましたが、職場のスタッフにも旦那さんにも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
無事に産休を迎えたわけですが、色々ありまして妊娠8ヶ月にして引っ越しをすることになってしまいまして…
このころにはお腹も大きくなり、動くのも大変になってきた時期だったので、荷物の整理はなかなか進まず焦りも感じてしまい、本当に大変だったなと思います。
実家の母が手伝いにも来てくれて、何とか引っ越し当日を迎えました。
無事に新しいマンションへ引っ越し、その引っ越し後の片付けも終えたところで慌ただしく里帰りの準備…
産休に入った途端にやることに襲われて、毎日大変だったなと思います。
そんなこんなを乗り越えて里帰りしたら、もうのんびりするのみでした。実家の母の手料理は久しぶりですごくほっとしたし、毎日の家事も大変に感じていた時期なので心も身体も休ませてもらえて、とてもいい気持ちで出産に臨むことができました。
出産予定日が近づき、毎週の検診も楽しみながらいっていましたが、予定日の6日前に入院をして、産むことが決まりました。もう初めての大仕事にドキドキです。
無事に痛みに耐えて産めるか心配過ぎましたが、我が子は本当に親孝行な子でとっても安産でした。
元気な男の子が産まれて、私も旦那ももうメロメロになっている毎日です。可愛い我が子は本当に天使で、毎日見ていて飽きないです。
そんな天使も日によってはギャン泣き大魔王になり、なんで泣き止まないのかと、私が泣きたくなる日も多々あります。
それでも頑張れるのは、我が子の幸せそうに寝る姿や。可愛らしい笑顔。どんどん成長していることがわかり、その姿がどれも愛おしいからです。
まだまだ始まったばかりの育児に、本当に悪戦苦闘しているし慣れてないけど、子供とともに私もママになって日が浅いので、周りの力もかりながら楽しみつつ育児に取り組んでいきたいです。
多少泣いても、こうやってたくさん抱っこできるのは今しかない!
そう思うとギャン泣きも可愛いとすら思えるようになってきたのは、私なりの成長かなと思います。
こうやって少しずつ子供との時間に余裕ができるといいな。
たくさん写真も撮って、たくさん動画も撮って日々の思い出は胸に刻み、形にも残す。子供が大きくなったら一緒に見るのが楽しみです。
そんな日を思うと、本当に楽しみしかないです!

今日見た夢

今日は変な夢を見ました。今日、だけではなく、最近は毎日のように見る夢なのです。
卒業式が近い時期の高校生の私になっていて、でも同級生は、中学生の時の子達も混ざっていました。学校の夢をよく見るのは、きっとその時期のことを悔やんだり懐かしだりしているからなのでしょう。
卒業式の催しの準備(何故か文化祭みたいに、各教室が飾り付けに追われている)中に、ステンドグラスを通したような光が差し込む階段を降りていく途中、校長先生に呼び止められました。
「○○をしてきてくれ!」と怒鳴られ、夢の中の私はびっくりして走りだしました。確か誰かを読んで来い、とか足止めしろ、というような趣旨だったと思うのだけれど、よく思い出せません。
無我夢中で走った先は屋上で、そこには羽の生えた同級生が手すり際に立っていました。
真っ白な羽と対照的に顔にはモザイクのような黒いモヤモヤがかかっていて、誰なのかは分かりませんでしたが、私が屋上のドアを開け、彼を認めてすぐ、真っ白な羽は広げたまま、彼は背中から落ちてゆきました。
「駄目‼」と叫んで手を広げていた先は、夢によくあることですが、屋上ではなく学校の玄関前でした。
「あれ、何してるの?」と旧友が語りかけてきて、夢の中の私は何事もなかったようにその子と一緒に校庭を歩き出します。
「次の三連休が、最後の三連休になるよね」その子は言いました。最後の、とは、卒業する前の最後の、という意味だと夢の中ながらに理解しました。
その子の提案は、三連休中に彼女の家に行って、お泊りパーティーとして映画を観まくろう!というものでした。とても楽しそうな響がしたので、その場では快諾し、校門前で別れました。
所変わって、今度は実家の自室からの景色に移り変わりました。見慣れた景色を窓越しに眺めていると、階下から母親の声が。お使いを頼みたいとのことでした。
自転車に乗り、田舎道をひた走る光景にかわります。夢の中ではいつも曇り空の薄暗い中、何故か自転車をアニメのように立ち漕ぎで全力疾走しています。目指すはコンビニエンスストア
何を買いに来たのやら、分からないまま来た道をひた走る光景。段々と雨が降ってきました。
実家に帰りつくと、そこまで遠くはないはずのコンビニですが、もう空は真っ暗になっていました。相変わらず雨は降っています。
雨戸を閉めて、夕食の支度を手伝い、家族と共にご飯を食べ、自室に引き上げていきました。
カーテンを開けて降りしきる雨と実家からの景色を眺めながら、学校で旧友に持ち掛けられた、三連休の計画について考えを巡らせていました。
夢から覚めた今になって考えると、この辺りから「自分は夢を見ている」ということをどこかで自覚していたのかもしれません。「ツレ君の予定はどうなんだろう、一緒に出掛けるよていだったかしら」と、学生時代に出会ってもいないツレ君との予定について考え、安易に旧友に返事をしたことを後悔し始め、心中モヤモヤとし始めました。
急いで携帯から彼女に対し、三連休ずっとは一緒にいられないこと、一日だけなら大丈夫ではあるはず、ということを伝えました。
旧友が怒りませんように、と祈りながら目を閉じると、知らないアパートの一室に私はいました。
目を開けると、目の前にツレ君が立っていました。私の体も心なしか背が伸びているように感じます。
その空間では、ツレ君と私の現実での会話や行動がリアルに脳内再現されていました。若干、部屋の作りが現実と異なりやや狭く、またレイアウトも異なっていましたが、奇妙な感覚を抱きながらも冷静な態度をとっていました。
そのうち、ツレ君が用事で出かけていき、私はゴミ出しというリアルなイベントの為部屋の各所にあるごみ箱の中身を集め始めました。
袋に満タンになったゴミ袋をもって部屋のドアを開けると、そこはとてつもなく高いマンションであることが判明しました。目の高さよりも下に山々が連なり、風が吹き荒れていました。どうやら夢の中では最上階に住んでいたようです。
外装は小奇麗なマンションで、白い壁に小洒落た黒い手すりのついた廊下と階段があります。その階段を、髪を抑えゴミ袋を携え降りてゆきました。
それからしばらく、長い長い階段を風に耐えながら降りてゆく光景が続きます。
気がつけば地上階。周りには同じマンション在住とみられる奥様方が集まっています。ゴミ捨て場の小洒落格子を開け中に袋を投げ入れると、待っていましたとばかりに奥様方に取り囲まれました。
「卒業式は何をされるんですの!?」「お宅の方はお仕事順調かしら?」というような質問攻めにあい、全てにおいて愛想笑いをしていた気がするものの、頭の片隅で三連休の予定と、旧友の映画を観倒す計画についてのことが浮かんできました。
「部屋に帰ったらツレ君と相談しよう」と思った矢先、何故か一瞬目が覚めたのです。リアルに眼球が目を向けました。隣にはツレ君が眠っています。
しかし、すぐにはどちらが現実か嘘か分かりませんでした。先ほどまで考えていた三連休のことと、現実では次の休日は三連休ではないものの、休日というシステムに対しての現実感が相まってか、判断がつかなくなっていたようです。
目を開き現実のツレ君の寝顔を眺めながら混乱している内に、また違う夢へと飛んでいきました。

ここまでが、今日見た私の夢の話です。

英文法について説明します。

昨日英文法について、再確認しました。そのことについて日記にします。

日本語と英語は、かなり文化圏から離れているので、文法が異なります。
まず、文型について説明します。第1文型では、S(主語),V(自動詞)で構成されている文です。例えば、「Bards fly.」(鳥は空を飛ぶ。)などです。第2文型は、S,V,C(補語)で構成される文章です。「This is interesting.」(これは、面白い。)などです。第3文型は、S,V,O(目的語)で構成される文章です。「He plays the piano.」(彼は、ピアノを弾く。)などです。第4文型は、S,V,O,Oで構成される文章です。「She told me that she liked rabbits.」(彼女は、私にウサギが好きだと言った。)などです。第5文型は、S,V,O,Cで構成される文章です。「The word makes me encouraged.」(その言葉は、私を勇気づける)などです。

次に、完了形について説明します。
まず、現在完了形についてです。これには、3種類の意味「経験」・「完了」・「継続」があります。必ず、have(has)の後に、動詞の過去分詞形が来ます。現在完了形は、過去に起こったことが現在まで影響していることを伝える概念です。最初に、例えば、「経験」の意味で、「I have been to Okinawa.」(私は、沖縄に行ったことがある。)、「完了」の意味で、「I have done it.」(それは、終わったよ。)、「継続」の意味で、「I have developed the software for 2 years.」(私は、そのソフトウェア開発に2年かかっている。)などです。それから、推量の過去で、「might have 過去分詞形」で「〜したかもしれない」や、義務の過去で「must have 過去分詞形」で「〜しなければならなかった」などの意味を表すこともあります。
過去完了形について説明します。基本的に文法は、現在完了形とほとんど同じで、hadの後に、動詞の過去分詞形が来ます。例えば、「継続」の意味で、「I had developed the software for 2 years yesterday.」(昨日、2年間継続していたソフトウェア開発を終えた。)などです。
未来完了形について説明します。これは、将来起こる完了事項を表現するときに使用されます。例えば、「I will have been to Tokyo 2 months later.」(私は、2か月後に東京に行くことになっている。)などを意味します。

次に、前置詞について説明します。これは、日本語の助詞に相当するものです。
まず、場所を表す「at・in」について説明します。atは一点の場所を表し、inは、やや範囲的な場所を表すときに使われます。例えば、「I work at Susukino in Sapporo.」(私は、札幌のすすきので働いています。)などです。また、季節や年を表すときにも使われます。
次に「on」についてですが、これは、「〜の上に」と日本語に訳されることが多いですが、「〜の横に」、「〜の下に」とも訳されることもあります。理由は、onという前置詞は、くっついているものに対して、使われています。例えば、「A clock is on the wall.」で、「時計が一つ、壁にかかっている」などを表します。
onはまた、曜日を表す前置詞でもあります。(on Sunday)など。
「without」についてですが、これは、付属していないことを表すことに使います。その逆の付属しているときは「with」を使います。「People with ADHD have less short‐term memory than people without ADHD.」(ADHDがある人は、ない人に比べ、短期記憶領域が少ない。)などです。
「by」についてですが、「〜によって」を表すことが多いですが、別の言い方に書き換えられる場合があります。例えば、「By reading many English books, I became able to listen to English」を、「Reading many English books enabled me to listen to English.」(数多くの英語の読書によって、英語を聞くことが出来るようになった)に書き換えることが可能です。英語を使う人は、後者の言い方のほうが一般的です。
他にも色々な前置詞がありますが、数をこなすことで慣れていくことが大切です。

次に、動名詞(-ing)と不定詞(to -)の違いについて説明します。この2つは、「〜すること」を意味するときに使いますが、不定詞は、未来志向型で、動名詞は、過去志向型のニュアンスがやや含まれています。また、動名詞不定詞で全く意味が異なる動詞、動名詞のみ使える動詞、不定詞のみ使える動詞などが、あります。例えば、1.「to forget -」と、2.「forgetting -」では、1は、「〜し忘れる」を意味し、2は、「〜したことを忘れる」というように、1は未来志向型、2は、過去志向型だということがいえます。

次に、品詞を変える方法を説明します。動詞を名詞にするには、「-tion」など、名詞を動詞にするには、「-ize」など、名詞を形容詞化するには、「-ful」、「-able」など、形容詞を名詞化するには、「-ness」、「-ity」など、形容詞を副詞化するには、「-ly」などが挙げられます。

最後に、英語の文法は、色々な要素が加わり、混乱しがちですが、コツコツやれば身につくでしょう。